『吉野酒造』紀行

造り蔵全景
 三つ目の訪問先は勝浦の銘醸「腰古井」の吉野酒造でした。
勝浦は南房総観光の拠点ともいえ海のイメージが強いが、いってみると海とはほど遠い内陸地で昔懐かしい日本の農村の原風景といった景色が広がっている。そんな中、滅多に車の来ない農道をひたすら走りようやく目的地に着いた。吉野酒造である。

 蔵の向かいにある駐車場に車を止め、振り返れば威風堂々の巨大な屋根を持つ立派な建物が否応なしに目に入ってきた。これが江戸時代から続く同蔵の造り蔵であった。道路を渡って蔵の前に立ってもその大きさに圧倒される。今まで見てきた蔵とはスケールが違うからだ。今では造り(造石数)の大きい方ではないが、その昔の繁栄ぶりが目に浮かぶようだ。

 さっそく蔵の向かいにある母屋に向かう。こちらが事務所兼直売所になっている。そこに蔵元である吉野美江子さんがいらっしゃった。体格のいい息子さんの慎一氏と一緒に忙しそうに来客の応対をしているので、「蔵の方どうぞ見てくれば」の言葉に甘えて勝手に蔵を見学させて頂いた。
 前にも言ったように今回の酒蔵紀行には心強い連れがいます。彼の案内でいざ蔵へ・・・と思ったら造り蔵の前を通り過ぎ蔵の裏手へ。そこには小高い丘がありそこに氏神様が祭ってありました。なるほど、まずここにお参りするのが習わしなんですね。

 お参りを済ませ蔵にもどる途中蔵の裏手に無造作に古い酒造りの道具がおかれていた。大きな丸太は古い米搗き用の杵に見える。その他用途の分からないもの多数。文字のうってある物もあった。

 蔵にもどると蔵人が忙しそうに動いています。杜氏さんがおられたので少しだけ話を伺うと、なんと昨年まで同県内の寺田本家(五人娘)さんにおられた方だった。寺田さんは特殊な造りで人気のある蔵で、その酒造りを支えてこられた杜氏さんだ。いくら名杜氏とはいえ蔵が変われば不安があるがそれは後日一掃された。

 蔵の内部は明日の仕込みの準備(洗米)が始まって忙しそうなので人影が無くなった事務所にもどる。そこで美江子さんと慎一さんを交えてお話を聞くことが出来ました。美江子さんと連れとは面識があるので大変歓迎してくれました。

 美江子さんが蔵元になったのは2年前。それまではご主人の「晋氏」が代表だった。しかし2年前に先立たれ蔵を継いだのだ。九州久留米市の旧家に生まれた美江子さんは、大学まで東京で過ごすが封建的な旧家の家風を嫌いアメリカに留学。当時商社マンだった「晋氏」と出会い結婚しました。その後通算10年にわたりアメリカ暮らし。日本、アメリカ、その他の国々とご主人と共に活躍したそうだ。平成3年に晋氏が社長として家業を引き継ぎ、それを副社長として国際舞台で磨かれた経験を遺憾なく発揮しサポート、現在に至っています。

 ご主人の晋さんは社長時代そのアメリカ仕込みの合理主義で旧態依然としたそれまでの酒造り(っていうか仕来りでしょうか?)を次々に改革したそうだ。奥さんである美江子さんも実におおらかで明るく活発に見える。そのバイタリティーさは数々の社交の場で活かされていると聞く。今回話を聞いている間は美江子さんの独占場で、慎一さんの出る幕は余り無かったですが、その内容は興味深く全く飽きさせる物ではありませんでした。アメリカ仕込みの国際感覚とともに「日本の肝っ玉かあさん」も感じられる素敵な奥様でした。息子さんもアメリカ生まれできっとスマートな感性をもっておられるでしょう。

 あっという間に外は真っ暗になってしまいました。まだまだ聞き足りない(話したりない?)感じでしたがここでお暇することにしました。時間が無く酒造りのことはあまり聞けませんでしたが、扁平精米や新しい試みにも取り込んでいるそうです。何よりも『美味しいお酒を造りたい。そして世界に広げたい』という心意気が強く感じられました。この日は本当に有意義な時間を過ごせました。次はもっと時間をとってこようと思います。「お食事でも」と誘われたのを後ろ髪を引かれながら帰ったのを書き加えます。

date=2004.2.11(Wed)/PM4:00頃
天気=曇
【写真上・蔵全型】



氏神様
【蔵の裏山】 氏神様が祭られている 


古い道具
【蔵の裏側に】 米つきの杵と思われる小道具類


圧搾機
【自動洗米機】 明日の仕込みのために洗米が始まる


麹室と麹蓋
【杜氏】 昨年まで寺田本家にいた小田島杜氏


浸漬後の米
【蔵元と息子さん】 現蔵元の美江子氏と息子さんの慎一氏。


蔵元・岩瀬氏
【井戸】 蔵の向かいにある横穴式の井戸。ここから超軟水の仕込み水を汲む
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