地酒を蔵元直送販売〜美酒探求/千葉の酒街道|日本酒通販

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千葉の酒物語り

(その二)

二、千葉の酒物語り
 〔1〕江戸時代の千葉の酒

 現在県内の酒造組合員は44社(焼酎工場含む)です。
そのうち、江戸時代の創業は半数で、残りの半数は明治時代の創業である。
江戸時代の造り酒屋は数え切れないほど多かったが、現代に至るまで伝統を守るのは、希少かつ困難なことがわかる。明治政府は重い酒税を課したが、開業の制限をしなかったため、資金さえあれば開業は容易であった。

 現存する造り酒屋で最も古いのは、君津市久留里の吉崎酒造である。寛永年間(1624〜43年)の創業とされる。久留里は里見氏の居城と知られ、城下町と発展している。
 ついで古いのは神崎(香取郡)の寺田本家、延宝年間(1673〜80年)の創業と記される。寺田本家の創始者「寺田忠兵衛」は近江の出。近江商人というと行商のイメージが強いが、実は関東でも多数の造り酒屋、醤油蔵を経営している。
 それに次ぐのは成田村(現成田市)の鍋店で、元禄二年(1689)創業と伝えられる。鍋店の祖先は成田村で鍋座を預かり、室町時代からの名家である。

 江戸時代に創業した酒蔵は、やはり城下町、門前町、河岸などにぎやかなところに集まっている。最も魅力的なところは、交通の要衝である利根川水系の河岸だ。当時の流通の主役は水運で、江戸を中心とした利根川水系は重要であった。銚子湊の築港は慶長十四年(1609年)で、相次ぐ大規模工事で1654年江戸への水路が確保される。
それを追うようにして、銚子から佐原にかけて次々に酒造家が生まれている。
 日本地図で有名な伊能忠敬の伊能家は佐原きっての名家であった。当時の佐原は商工業の発達した関東屈指の地方都市で、伊能家は佐原で最初の酒造家になった。

 江戸時代、幕府は酒造株という制度で酒造を規制していた。経済の基盤である米価の調整は重要で、米を大量に消費する酒造りは厳重な統制を受ける。
 酒造株ではあらかじめ酒造株高(石数)を受け、情勢によりその2分の一、4分の一造りと制限を受けた。
元禄十一年、幕府は全国の酒造業の調査を行う。全国の造り酒屋は二万七二五一戸、醸造米高九〇万九三三七石。一軒当たり三三石であった。このころは米価が非常に高く伊能家も酒造りを休む。酒造りも激しく制限されていた。
 宝永六年にやっと酒運上金が廃止され、酒造制限は緩和の方向に向かい。宝暦4年には勝手造り例が出て、届け出さえすれば酒造りができるようになる。
伊能家も酒造りを再開し、一〇〇〇石以上の大規模醸造を行う。そのころ一つの蔵で千石以上の醸造は限界とされ、中小の蔵の目標でもあった。
 江戸時代の後期は灘の酒が全盛で、佐原の酒は主に地元で消費され、灘の酒が江戸に入って来ない時だけ補佐的に届けられた。大都市江戸は、多くの生活物資を大阪に頼った。享保十一年(1726年)に大阪から入った醤油は全体の76%を占めていたが、文政4年になると、ほとんどが関東産になる。上方の薄口醤油が野田、銚子の濃い口醤油に駆逐されてしまう。
 しかし酒は反対で、品質の向上と量産化に成功した灘酒は幕末には江戸の消費量の九割近くを占めるようになる。江戸の食文化は灘の酒と千葉の濃口醤油に結びつき発展していったと言える。佐原の酒は「関東灘」といわれ灘酒に次ぐ品質といわれた。しかし幾度にも及ぶ制限例や腐造の心配などで安定した酒造りは難しい。
伊能家の酒造りも多角経営化もあって、徐々に酒造りを縮小しやがて廃業する。
 江戸時代は酒造家数、醸造高をとっても最も変動の激しい時代であった。多くの造り酒屋ができては消えていった。現在、佐原市で酒造りの伝統を受け継ぐのは馬場本家と東薫酒造の2件だけである。

 江戸時代には寒造りによる酒質の向上が著しいが、庶民の楽しみは、価格の安い「どぶろく」「にごりざけ」と呼ばれる「濁酒(だくしゅ)」である。濁酒は農民や漁民の手造りによるものも多かったが、専門の「濁酒屋」によるものも少なくなかった。濁酒は保存が利かず、小規模造りである。少量を一回で仕込み、ほぼ一年中仕込みを行い、短期間で回転率は高かった。酒はアルコール度が低く、酸が清酒の二倍も多く荒い酒であった。酸っぱい酒に灰を入れると、酸とアルカリで中和され酸味は抜けるが酒に味は悪くなった。
幕府は濁酒に清酒より高い冥加金を課し、許可条件は厳しく制限し寒造り押し進めた。
 幕府が進めた寒造りは、優れたシステムであり優れた酒を生み出した。しかし冬期に一年分の酒を醸造するのは大規模な生産能力、相当規模の財政力が必要となる。寒造りの定着は日本の風土や農業サイクルと旨くかみ合い発展する。酒造りの労力の主役は農閑期の百姓となり、杜氏制へと発展していく。

                  
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