地酒を蔵元直送販売〜美酒探求/千葉の酒街道|日本酒通販

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千葉の酒物語り

(その一)
 千葉県には現在四十四の酒場(焼酎専業一場含む)があり、それらのほとんどが自醸酒を製造し旨い酒造りに余念がありません。ここではその千葉酒の歴史をご紹介します。
しかしその前に簡単に日本酒の歴史から振り返ってみましょう。


一、日本酒の歴史

 清酒の原料は米です。いわば「稲の酒」。その米が本格的に栽培されるようになったのは、今から二千数百年前の弥生時代といわれ(それ以前の縄文時代にも稲作をしていたことは確認されている)、その稲作とともに米を原料とする「稲の酒」が生まれたと思われます。
清酒の起源は定かではありませんが、古墳時代にはその神話からからも「稲の酒」がすでにあった(現在の清酒とは違うが)ことは容易に想像できます。
 このころの「稲の酒」は「キ」「ミキ」「ミワ」「クシ」「サキ」「サケ」などと様々に呼ばれていたが、次第に「サケ」「シュ」に統一される。「シュ」は中国式の漢字の発音なので「サケ」こそが日本固有の民族の酒にふさわしい呼び名である。

 倭の諸王が栄えた巨大古墳の時代は、やがて大化改新から始まる律令国家の時代へ移り変わります。日本独自の「稲の酒」はおそらくこの時代に宮廷の「造酒司(さけのつかさ)」でつくられ始めました。政治はマツリゴトであり、祭事にはハレの食として酒が不可欠であったからです。
 律令国家も三百年もたつと乱れに乱れ荘園という王侯貴族達の私有地が増え、大きな神社や貴族の大荘園で酒を造り始めました。宮廷の酒は神社や寺院にゆだねられ、さらに民間に広がっていったのです。

 中世に異彩を放つのが「僧坊酒」です。僧坊酒は寺院の中で造る酒のことで、10〜11世紀の神仏混交、神仏習合の時代に神酒を醸したことから始まりました。やがてこの酒は自家用を越えて商品として売りに出され、大寺院の財源とされました。
寺院では売れる酒を造るために努力を惜しまず、「南都諸白」といわれそれまで*片白だった酒を現代の清酒に近いものまでに引き上げました。

 戦国時代から江戸時代にはいると僧坊酒はすっかり姿を消し、江戸時代には酒造りは豪商の手にゆだねられる。江戸幕府の開府の頃最初にリードしたのは池田・伊丹の下り酒である。伊丹・池田は今の大阪湾にそそぐ猪名川の上流にあり、江戸への海運の便がいいことなどで一世を風靡し、特に伊丹の酒は後に政治的庇護もあり独占する。
 しかしそれも長くは続かず、新興の灘酒にすっかり打ちのめされてしまいます。
その理由は、灘酒の技術革新にある。伊丹では足踏み式だった精米器を六甲山からの豊富な河川の急流を利用した水車式精米器を導入し、桜正宗の祖・山邑太左衛門はそれまで一昼夜搗きだったものを三日三晩搗き通した米で造った酒は、江戸でその淡麗な味わいが大評判になった。さらにその名声を不同にしたのは「宮水」の発見である。
宮水は清酒造りに有効なミネラル分を豊富に含み、スッキリとした辛口の酒になった。これらの技術革新は清酒醸造に大きな変革をもたらし、現在の清酒の源となったのです。

 現代の清酒造りは11月から3月の寒の時季だけ造られる『寒造り』である。しかし今から200年ほど前までは酒は必要に応じて年中造られていました。その方が設備も小さくてすみ、貯蔵における腐敗もないからである。
 「寒造り」が始まったのは寛政十年(1798年)のことで酒造政策、米価政策における。当時の経済の基盤は「米」であり、米価の安定は不可欠であった。
 「寒造り」が制度として恒常的となると、貯蔵性のよい、アルコール度の高い、丈夫で日持ちする酒をいかに効率よく量産するかが課題となり、仕込み技術の改良と合理化が進展していった。そして酒造りの労働力を農閑期の農民の出稼ぎに頼るようになり、「杜氏」という職業がうまれる。千葉の酒の物語が始まるのはこのころからである。

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